昭和10年代の菓子製造の様子
■指定されている場所: 足立区
足立区には、東京都の菓子組合に属する会社のうち約30% が集中しています。あだちの菓子は、昔からの製法で作られた、素朴で昔懐かしい味です。
東京における菓子製造の中心地は、時代とともに移り変わっていきました。明治時代には、神田の岩本町(かつての東竜閑町や大和町)に、関東大震災の後には錦糸町(墨田区)、西浅草(台東区)に、菓子製造業者が集中していました。そこでは、もっぱら駄菓子の製造が盛んでした。戦後になると、墨田区や台東区の菓子製造業者が、広い土地を求めて、都心に近く比較的地価の安い足立区へ移転しました。足立区では、江戸時代から菓子製造が行われていましたが、昭和20 ~ 30 年代にその数を急速に増やしていきます。また、独立して新たに開業する人たちにとっても立地条件が良い土地でした。昭和30 年代には、足立区内に約100 の菓子製造業者が集まり、菓子の生産地として発展していきました。
「お菓子づくりのまち」と呼ばれている足立区では、おこしやきんつば、落雁、ようかん、くずもち、人形焼きなどの和菓子や、バームクーヘンやプリンなどの洋菓子に加え、時代と共に多様化したお菓子のニーズに応え、新商品が開発されています。足立区内で作られているお菓子を、新たな名産品として盛り上げたいという思いから、15 社の菓子製造事業者が集まり「あだち菓子本舗」が設立されました。
あだち菓子本舗のパンフレット
足立区内で作られる菓子は、全国のコンビニエンスストアやスーパーマーケット、サービスエリア、専門店などに卸されているものが多く、足立区民にも知られていないものがあります。そこで、あだち菓子本舗は、区内で作っているお菓子を区内の小売店で、セットやばら売りでの販売を進めており、さらには区外に情報を発信することに努めています。
あだち菓子本舗のパンフレット