ねりま漬物物産展で販売されている「ねりま本干し沢庵」
■指定されている場所: 練馬区
練馬の名産といえば、だれもが「練馬大根」を思い浮かべます。この練馬大根は、江戸時代から盛んに作られ、たくあん漬け(沢庵漬け)や切り干し大根などの形で製品化され、練馬は漬物の生産地として発展しました。
大根は、アブラナ科ダイコン属の越年草の食用の栽培種です。練馬大根は全体が白い「白首大根」の一種で、長さは70 ~ 100cm。
江戸時代までには日本各地で栽培されるようになり、それぞれの土地で品種改良が進められ、独特の大根が生まれました。練馬大根は元禄時代(1688 ~ 1707 年)頃から練馬で栽培されはじめました。
練馬大根碑
練馬の厚い関東ローム層の赤土の上にできた黒ボク土が、大根栽培に適していたことに加え、大消費地の江戸からすぐそばの近郊農村だったという立地の良さのため、練馬大根の生産は増加します。ちなみに、1940(昭和15)年、練馬大根のたくあん漬けが、特産として全国的に有名になったことを記念して、東京練馬漬物組合によって愛染院の参道のわきに「練馬大根碑」が建てられています。
江戸時代、練馬の農家は江戸の人々から注文を受け、これを馬に積んで運んだといいます。練馬大根を用いたたくあん漬けは、練馬の特産品となります。
練馬区の若宮公園に展示されている
練馬大根漬物用大樽
ちなみに、たくあん漬けは、昔は「大根漬け」や、「貯え漬け」と呼ばれていました。1872(明治5)年には、東京府のたくあん漬けの生産額の80% を練馬が占めていました。やがて農家の副業的な生産から、工場での生産へと変化し、明治後期から大正時代に練馬のたくあん漬けの生産量はピークを迎えます。軍隊や学校、病院が大口の取引先で、朝鮮や満州、中国、北米にも輸出されて、好評を博しました。
練馬大根は昭和初期までは盛んに栽培され続けますが、その後、昭和初期の干ばつや、何回かのモザイク病の発生による影響や練馬の都市化による農地の減少などのために練馬大根の生産は激減しました。今では、練馬の農業はキャベツが主な作物となっています。それと共に、人々の食生活も変化してきたため漬物も多様化しました。たくあん漬けを作っていた製造業者は、季節の野菜の浅漬や、キムチ、福神漬、生姜漬け、酢漬け、また奈良漬け、べったら漬け、梅干しなど、様々な種類の漬物の生産を行っています。
その一方で、「練馬大根を残そう」という願いから、JA 東京あおばが区の協力を得て、1989(平成元)年より「練馬大根育成事業」を始めました。その結果、徐々に練馬大根の生産量は増えており、2018(平成30)年度は、約14,200 本の練馬大根が収穫されました。練馬大根は11 月に収穫し、12 月に2 週間ほど天日干(てんぴぼし)をします。その後、ぬかと塩に漬け重石を載せて加圧します。練馬の漬物を広く紹介するために開催されている「ねりま漬物物産展」では、貴重な練馬大根を丸ごと1本使った「ねりま本干し沢庵(ほんぼしたくあん)」が販売されています。
地元の小学校の生徒が種をまいた練馬大根
さらにこの物産展では、普段は卸し中心で、直接、購入できない漬物事業者の製品も並びます。さらに、練馬大根育成事業の事業の一環として、練馬大根の種を区内の保育園や幼稚園、小中学校などにも配布し、子供達が練馬大根の種まきから収穫までを体験しています。また、練馬区とJA 東京あおばが主催の「練馬大根引っこ抜き競技大会」も、冬の恒例となった人気イベントです。大会で収穫された大根は、練馬区内の小中学校の給食に活用されています。