■指定されている場所: 世田谷区
九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ)は、正式名称を「九品山唯在念佛院淨眞寺」といい、江戸時代初期の珂碩上人(かせきしょうにん)によって創建された浄土宗の寺院です。境内にある大きなイチョウやカヤの木(都の天然記念物)は、秋には美しく色づき、紅葉の名所となります。
珂碩上人は、『観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)が説いている九品往生(くほんおうじょう)という思想に基づく、9 体の阿弥陀(あみだ)像をつくることを一生の念願としました。弟子の珂憶(かおく)上人と共に制作に励み、51 歳の時に完成させました。九品とは、人の往生の仕方には信仰の篤(あつ)い人から悪人に至るまで9 種類あるとするもので、大きく上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の3 つに分かれ、さらにそれぞれが、上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)に分類されます。ちなみに、今日、一般に使用されている「上品(じょうひん)」や「下品」
(げひん)といった表現も、読みは異なりますがこの九品の分け方に起源があるとされています。浄真寺の境内には、中央に上品堂(じょうぼんどう)、北側に中品堂(ちゅうぼんどう)、南側に下品堂(げぼんどう)の3 つの阿弥陀堂があり、それぞれには上生・中生・下生の3 体、全部で9 体の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)が安置されています(東京都指定文化財)。それらは総じて九品仏(くほんぶつ)と呼ばれ、浄真寺そのものも「九品仏」と呼び習わされています。像の高さはどれも約2.8m 。9 体の像は、手の指で様々な形を作る印相がそれぞれ異なっており、上品仏は定印(じょういん)、中品仏は説法印(せっぽういん)、下品仏は来迎印(らいこういん)となっていて、さらに上生、中生、下生でそれぞれ細かく指の形に違いがあるのが特色です。
3年に1度、浄真寺で行われる二十五菩薩練り供養(来迎会)は、通称お面かぶりと呼ばれています。菩薩に扮した25人の信徒たちが、本堂と上品堂との間に架けられた橋を三度わたる行事です。東京都の無形民俗文化財に指定されています。
お面かぶりの行列
浄真寺の創建前には、この地には奥沢城が建っており、「さぎ草物語」という伝説が残っています。奥沢城主・大平出羽守の美しい娘・常盤姫(ときわひめ)は、大平出羽守の主君にあたる世田谷城主・吉良頼康(きら よりやす)の側室となり、常盤姫はその寵愛を一身に集めます。しかし、他の12 人の側室からねたまれ、常盤姫が不義の子を宿したという告げ口を頼康にしました。
龍護殿にある白さぎの像