海苔簀に海苔つけをする
■指定されている場所: 大田区
海苔は、ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」に欠かせない一品です。海苔の産地として、現在は九州の有明海や瀬戸内海、愛知が有名ですが、大森は、江戸時代から1962(昭和37)年まで、約300 年続いた有名な産地でした。大森を含む東京での生産量は、明治時代から昭和14 年までは、明治27 ~ 31年をのぞき、1位を保持していました。
最古の海苔の採り方は、海面に漂う海苔を採る「藻採り」です。その後、生産性を向上させるために「ひび」に海苔の胞子を付着させ、人工的に採取するようになりました。やがて海苔養殖・加工の技術が大森から全国に広まったため、大森は海苔のふるさと、または日本の海苔養殖業発祥の地とも呼ばれています。大森の海苔は、御膳海苔(ごぜんのり)として幕府に上納されるほど品質に優れていました。海苔の養殖風景は、江戸近郊の風物詩として知られ、江戸時代の浮世絵にも多数描かれています。
海苔養殖のスタートは、7 ~ 8月の竹ひび(海苔を育てるためのに加工した竹)作りからです。
資材運搬や作業用の「中ベカ」
海苔下駄を使用して竹ひびを
立てる風景の模型
海苔網の模型
「飛行機包丁」(効率よく海苔切り
ができるようになった海苔切り包丁の一種)。
江戸時代、東京湾の漁業は江戸前と呼ばれ、アナゴやシャコやエビ、アサリやハマグリ、ハゼやウナギなど多彩な海産物に恵まれていました。しかし昭和30 年以降、東京湾の水質は悪化の一途をたどります。そして東京湾の埋立てや、大型船の航路づくりが急ピッチに行われました。大森付近の大規模な埋立てが決定すると、1962(昭和37)年、大森漁業協同組合は漁業権の放棄を決めました。こうして大森の海苔養殖の歴史は幕を閉じました。しかし今も大森には多くの海苔問屋があり、日本全国から集まった海苔を目利き・味利きのうえ加工し、全国へと販売しています。全国に約400 件ある海苔問屋のうち、50 軒近くがこの大森に集中しています。
左に海苔下駄。中央に振棒。
右に竹ひび。
産地から運び込まれる海苔は入札が行われます。問屋に入荷された海苔には、まだ水分が多く含まれ、そのままでは長期の保存ができません。そこで、「火入れ」と呼ばれる加工を行い、2つ折りになっている海苔を保存に適するように乾燥させ、平らな状態に伸ばします。次いで、「焼き」と呼ばれる工程で、問屋各社がこだわりの火加減により焼き上げます。さらに味付海苔の場合、海苔の表面に各社独自の調味液(タレ)を塗り、味付け加工をします。こうしてできた海苔をカット・包装・袋詰します。こうした加工技術がノウハウとして伝承され、問屋同士の競争・協力により発展していきました。現在の大森の海苔問屋で選別・加工される海苔が「大森海苔」といえます。
海苔下駄の体験。実際には海の深
さに応じて高さ30 ~ 150cm の各
種の海苔下駄に履き替えました。
写真提供:大森 海苔のふるさと館