琉金
■指定されている場所:江戸川区
例年7月には、江戸川区の特産品である金魚の魅力を広く伝えることを目的に、江戸川区では「金魚まつり」(江戸川区特産金魚まつり)が西葛西・行船公園において二日間にわたって開催されています。2018(平成30)年で第47回になるこのまつりには、江戸川区内外から夏休みに入った子どもたちや家族連れ、金魚愛好家など多くの人々が集まりました。まつりの目玉として、中学生以下無料、高校生以上100円で参加できる「金魚すくい」コーナーがあり、朝から長蛇の列ができました。
金魚まつり
この年は、3万匹もの金魚が金魚すくいのために用意されました。さらに小学生以下を対象とした金魚すくい大会「集まれ腕自慢!チャレンジ ザ 金魚すくいinえどがわ」も両日催されて、入賞者には賞状とメダルが贈呈されました。
えど金ちゃん
「金魚まつり」では、様々な品種の金魚の展示や即売も行われており、中には1匹あたり数万円の高級金魚を目にすることもできます。さらに、金魚の飼育相談会が開かれたり、水生動物やメダカの販売コーナー、飼育器具・えさなどの販売コーナーに加えて、小松菜などの江戸川区産の野菜やその加工品の販売コーナー、「江戸風鈴」「 つりしのぶ」「江戸切子」などの実演・販売コーナーも設けられており、江戸川区の伝統工芸に接することができます。会場には、江戸川区の金魚を全国にPRするためのキャラクター「えど金ちゃん」のイラストが随所にみられ、着ぐるみの「えど金ちゃん」とのツーショット撮影もできます。
このような金魚まつりが江戸川区で開催される背景には、金魚の養殖の歴史が深く関係しています。金魚は、コイ目コイ科に属する淡水魚で、「ヒブナ(緋鮒)」を改良した観賞魚です。西暦3世紀頃に中国産のフナの一種に突然変異が生じ、黒い色素が欠けた赤色のヒブナが誕生しました。このヒブナを長い時間をかけて品種改良を繰り返した結果、尾が長いもの(琉金)、背びれがなくずんぐりとしたもの(蘭鋳)、目が飛び出したもの(出目金)など、多種多様な「金魚」の品種が誕生しました。
日本に金魚が伝わったのは、室町時代、中国から大坂の堺に伝わったものが最初と言われています。当初、金魚は高級品で、大名や一部の貴族の間で小規模に流行したにすぎませんでした。1693(元禄6)年発行の井原西鶴作の浮世草子『西鶴置土産』の中には、大名の子供が金魚1匹を金子(きんす)5~7両で買い求めるという記述が出てきます(1両は、米価から計算すると江戸初期で約10万円)。やがて、江戸での金魚養殖も始まり、江戸在住の武士の副業にもなりました。江戸後期には金魚の価格は今と変わらないくらいに下がり、江戸の庶民の間で一大ブームとなります。
明治時代、東京における金魚の主な養殖場は本所・深川近辺でした。養殖業者はさらに広い土地を求めて次第に東に移り、亀戸・大島・砂町方面で盛んに養殖が行われます。しかし都市の工業化・宅地化に伴い、大正時代の主な生産地はさらに東の江戸川へと移りました。第二次世界大戦後、江戸川区は愛知県弥富市や奈良県大和郡山市、熊本県長洲町と共に日本の有数の金魚生産地となりました。
競りの風景
やがて江戸川区にも宅地化の波が押し寄せ、昭和30年代以降、江戸川区の金魚養殖業者は他県へ移動したり、転廃業することが多くなり、全盛期には20軒以上いた養殖業者が、2018年現在は区内にはわずか2軒を残すのみとなっています。江戸川区船堀にある「東京都淡水魚養殖漁業協同組合」では、3月~9月の毎週木曜日に、都内や千葉、埼玉などの仲買業者が参加する競りが行われています。「和金」や「琉金」など様々な品種の金魚が入った「活舟」(いけふね)が競り場に運ばれ競りにかけられます。活舟には少ないもので10匹ほど、多いもので500匹ほどの金魚が入れられて価格が付けられます。落札された金魚は、首都圏を中心とした小売店等に卸されて、観賞用金魚として、また金魚すくい用として販売されています。
活船(いけふね)