■指定されている場所:墨田区
「東京都江戸東京博物館」は、墨田区横網(よこあみ)町にある江戸・東京の文化や歴史を学ぶことのできる博物館です。常設展では、大型模型や当時の様子を再現した縮尺模型、当時実際に使われていた実物資料などが多数展示されています。
建物は大阪万博のエキスポタワーを手がけた建築家菊竹清訓(きくたけ きよのり)による設計で、4つの大きな柱で地上から持ち上げられた姿は高床式の倉をイメージしたものです。地上7階、地下1階の鉄骨造で、地上部分の高さは約62mで、江戸城の天守閣の高さとほぼ同じです(3階の天井と4階の床の間に大きな空間が空いています)。国鉄時代の操車場跡地を利用して建設され、1993(平成5)年に開館しました。
日本橋(模型)
常設展入口を通ると、最初に「東海道」などの五街道の起点となった「日本橋」を渡ります。全長約15m、幅約8mの日本橋の北側半分を、ケヤキやヒノキを使って忠実に復元しています。
寛永の大名屋敷(模型)
江戸は徳川家康が幕府を開いてから400年余り、政治の中心地として栄えてきました。18世紀初頭に推定人口100万人を越え、世界でも有数の都市となりました。その江戸の町の姿や生活を知ることができるのが、「江戸ゾーン」です。「寛永の大名屋敷」は、江戸城本丸大手門の前に建てられていた越前福井藩主・松平伊予守忠昌(いよのかみただまさ)の上屋敷の模型です。現在では、三井住友銀行本店ビルや日本生命丸の内ビルなどが建っている敷地に、この模型のような桃山風の豪壮な建物が建っていました。1657(明暦3)年の明暦の大火により焼失しました。
寛永の町人地(模型)
「寛永の町人地」は、日本橋北詰付近の様子を復元した模型です。ちょうど常設展を入るときに渡った「日本橋」の、その先の様子を知ることができます。五街道の起点だったため人通りが絶えず、呉服店の越後屋(現在の三越日本橋本店)などの大店(おおだな)が並ぶ商業の一等地でした。「寛永の大名屋敷」とほぼ同じ面積を復元してあるため、武家屋敷とくらべて町人の町がいかに密集していたかが理解できます。
幕末の江戸城 −本丸・二丸御殿−(模型)
「幕末の江戸城 −本丸・二丸御殿−」は、江戸城内の本丸御殿・二丸御殿の幕末期における様子を1/200スケールで復元したものです。幕府行政の中心機関である「表御殿(おもてごてん)」、将軍のプライベート空間である「中奥(なかおく)」、女性のみが住む「大奥」などの壮麗な建物が並んでいました。表御殿の一部には『忠臣蔵』で有名な「松の廊下」もあります。現在、本丸は芝生が生え広々とした「皇居東御苑」になっており、天守台だけが残っています。江戸城の天守閣は、江戸初期のわずか50年間しか存在していませんでした。その短い期間の間に二度も火災に遭ってその都度再建されましたが、1657(明暦3)年の明暦の大火の後は、城下の復興を優先すべきという第3代将軍家光の異母弟である会津藩主保科正之(ほしなまさゆき)の進言で再建されませんでした。この幕末の模型の白い天守閣は、計画だけで終わった「幻の天守閣」です。
棟割長屋(模型) 寺子屋師匠
江戸ゾーンには、江戸時代の人々の暮らしの場を実物大で再現した模型が数多くあります。「棟割長屋(むねわりながや)」は、各部屋の中に、江戸時代の人々の生活の様子を再現しています。長屋とは1つの棟(むね)を数戸に区切った住居ですが、棟割長屋は棟の前後で部屋を分ける形のものを指します。
絵草紙屋(模型)
「絵草紙屋(えぞうしや)」は、和泉屋市兵衛(いずみやいちべえ)の店である絵草紙屋「甘泉堂(かんせんどう)」の店先を再現したものです。甘泉堂は現在の港区芝大門1丁目にあり、錦絵や絵草紙(絵入りの小説)を製作・販売していました。
芝居小屋・中村座(模型)
「芝居小屋・中村座」は、代表的な歌舞伎の芝居小屋である中村座の1805(文化2)年の様子を原寸大で復元したものです。江戸歌舞伎は、初代座主・猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が京橋近くに中村座を立ち上げたのが始まりです。その後、何度か場所を移しましたが、浅草聖天町(現在の台東区浅草6丁目)に幕府の命によって芝居小屋が移転させられた時には、町の名前は、猿若勘三郎にちなんで「猿若町(さるわかちょう)」と名付けられました。
両国橋西詰(模型)
「江戸ゾーン」には他にも、「両国橋西詰」や、「三井越後屋江戸本店」、「菱垣廻船(ひがきかいせん)」、「四谷大木戸水番屋」、「小金井橋と玉川上水」、「神田明神行列」、「神田明神山車(だし)」、「北斎の画室」、「歌舞伎の仕掛け」、「助六の舞台」などの見所が満載です。
銀座煉瓦街(模型)
「東京ゾーン」では、明治維新、文明開化、関東大震災、東京大空襲に関する展示があります。「銀座煉瓦街」は、近代国家にふさわしい街づくりとして、明治新政府によって計画、建設された不燃家屋(煉瓦造り)による街並みを再現しています。尾張町交差点(銀座4丁目交差点)には新聞社が集まり銀座は一大情報発信地となりました。
朝野新聞社(模型)
「朝野新聞社(ちょうやしんぶんしゃ)」は、その新聞社の一つを実物大で再現したものです。朝野新聞社の建物は後に「服部時計店」に買い取られ、屋上に時計塔が増築されて銀座の名物となりました。現在は同じ場所に「和光」のビルが建っています。
鹿鳴館(模型)
「鹿鳴館(ろくめいかん)」は、現在の日比谷の帝国ホテル近くに1883(明治16)年に建てられた、当時の欧化政策を象徴する洋館です。設計は、英国人建築家のジョサイア・コンドルです。鹿鳴館では、国賓や外国の外交官を招いた舞踏会が催されました。
凌雲閣(十二階)(模型)
「浅草十二階」という名で親しまれていた「凌雲閣(りょううんかく)」は、1890(明治23)年に落成。当時は高さが日本一で「雲を凌(しの)ぐほど」といわれました。8階まで上がるエレベーターも日本初。浅草のシンボルとして土産絵にも登場し、関東大震災で倒壊するまで多くの人々でにぎわいました。凌雲閣は、明治・大正時代の浅草のシンボル的な建物で、多くの絵はがき、古写真にその姿が残っています。
下町の庶民住宅(模型)
「下町の庶民住宅」は、中央区月島の4軒長屋(大正末期建造)の一部をモデルに、昭和初期の庶民の暮らしを再現したものです。当時は、便所や台所に電灯のない家が多く、個々の家庭には水道が引かれていませんでした。
「東京ゾーン」にはさらに、「ニコライ堂」、「六区活動写真街」、「第一国立銀行」、「電気館(正面部分)」などの建築模型に加え、「和洋折衷住宅」、「風船爆弾」、「新宿 −夜のヤミ市−」、「ひばりが丘団地」などの模型が展示されています。
江戸東京博物館には、図書室(7階)、映像ホール(1階)や映像ライブラリー(7階)などの学習施設も設置されています。また分館には、小金井公園内の「江戸東京たてもの園」があります。江戸東京博物館では常設展示に加えて、特別展が年間数回行われています。2004年『新選組!展』、『大(Oh!)水木しげる展』、2006年『驚異の地下帝国 始皇帝と彩色兵馬俑展-司馬遷『史記』の世界』。2008年『天璋院篤姫』。2009年『手塚治虫展』。2010年『大昆虫博』。2016年『大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで』、2017年『没後150年 坂本龍馬』など、様々なジャンルの展示が開催されてきました。
写真提供 江戸東京博物館