■指定されている場所:台東区、墨田区、荒川区、葛飾区
東京の浅草橋には「日本文具資料館」という博物館があります。ここには、文具の歴史を示す貴重な資料が残されています。文具の歴史は古く、古代メソポタミアで楔形文字を書く際に用いられたスタイラス(尖筆)は、文具のさきがけといえます。
日本では、文具といえば、筆が筆頭に挙げられます。筆先にはさまざまな動物の毛や、鳥の羽根が利用されました。
今日、もっともポピュラーな文具といえば「鉛筆」です。1560年代に「黒鉛(グラファイト)」が発見されると、滑らかに線が描ける性質が注目されて、鉛筆が作られるようになりました。そして発明してからわずかの後に、献上品として徳川家康や伊達政宗に贈られ、彼らが鉛筆を使っていたと伝えられています(二人が使った鉛筆のレプリカが日本文具資料館に展示されています)。
とはいえ、一般の人が使用するには至らず、本格的に日本で鉛筆が生産されるようになったのは明治時代初期でした。明治時代になると教育のために鉛筆のみならずさまざまな文具が必要とされるようになります。日本で最初に鉛筆を作ったのは小池卯八郎(こいけ・うはちろう)という人物でした。しかし、鉛筆製造者は、東京や大阪にほんの少しいるだけで、欧米から輸入される鉛筆の方が良質で高級という状態が続きました。第一次及び第二次世界大戦の期間、外国からの鉛筆の輸入が途絶えたことが、国産の鉛筆の生産を次第に増加させ、品質を向上させるきっかけとなりました。
鉛筆の芯の原料は黒鉛と粘土ですが、黒鉛と粘土の粒子が細かければ細かいほど滑らかな書き味となります。昭和30〜40年頃には、トンボ鉛筆と三菱鉛筆の間で鉛筆の性能競争が起こり、通常1立方ミリメートルあたりの粒子数が24万〜34万個であったところを、それぞれの会社は1立方ミリメートルあたり100億個という世界に誇れる鉛筆を開発しました。これらの鉛筆は、日本の製品が質のよい高級品であるというイメージを海外に与える良い例となりました。
戦後、欧米から新しい文具が次々と日本に伝わり、それらはすぐに日本でも取り入れられて広まります。占領軍が持ち込んで日本人が驚いたものの一つは、ボールペンです。他にも昭和20年代には、セロハンテープやマジックインキ、ホッチキスやクレヨンが実用化されました。
昭和30年代に入ると、シャープペンシルやプラスチックの消しゴム、合成のり、瞬間接着剤が登場します。刃を折って使うカッターナイフは日本で発明されました。
ついで、昭和40年代には、朱肉のいらない判子や、筆ペン、ラインマーカー、鉛筆削り器が登場します。
かつて東京都内にあった中小の文具工場は、次第に地方に移転し、東京で工場を営んでいるケースはまれになりました。しかし、文具に関連した問屋は東京都の東の地域に残っており、大手文具メーカーの本社も、多くは東京都内に置かれています。
それぞれの文具には、各々興味深い発祥の歴史や、開発にまつわる苦労話があり、時代時代で改良努力が施されています。文具は時代と共に新しい技術がいち早く取り入れられて、次々と新商品が開発されてきました。これからも、人々の生活を支える文具は、思いがけぬ進歩を遂げていくことでしょう。