物忌奈命神社のかつお釣り行事
■指定されている場所: 神津島村
神津島のかつお釣り行事とは、かつお漁の安全と豊漁を祈願して行われる行事です。この神事は、神津島の鎮守(ちんじゅ)の物忌奈命神社(ものいみなのみことじんじゃ)で催されます。かつお漁の様子を、青竹を船に、境内を漁場に、そして島民をかつおに見立てて再現します。
物忌奈命神社の鳥居
江戸後期、紀州のかつお節職人によってその製法が伊豆諸島に伝わり、新島ではかつお節作りが盛んになります。1787(天明7)年、つまり11 代将軍徳川家斉の時代には、神津島からは、米で年貢を納める代わりに、その一部がかつお節として納められるようになります。やがて、かつお漁の豊漁を祈願して、文化・文政の頃(1804 年~ 1830 年)から、かつお釣り行事が始められたと伝えられています。『伊豆七島誌』(初版は寛政12 年)には、「島民の生計は主として漁業に依(よ)る。故(ゆえ)に舟に乗り、櫓(ろ)を操(たぐ)ることに熟練する事七島に冠(かん)たり」と記されており、『伊豆海島風記(昭和4 年刊)にも「鰹(かつお)を煮たるに水良き故か鰹節他島に勝(まさ)る。江戸へ出し売るに、三宅島、新島の鰹節よりその価(あたい)高し」とあり、その品質が高かったことがうかがえます。また、明治時代に入っても、その初期までは、税がかつお節で納められていたたため、当時の役人は給料の代わりにかつお節を支給されたと伝えられています。
船に乗り込む様子
この神事は、毎年8月2日に開かれる物忌奈命神社の例大祭(この神社の最も重要な祭)で行われる、素朴で豪快な行事です。まず、青竹で舟の形を2~3隻作り、向こう鉢巻きにハッピ姿の若い衆が舟に乗り込みます。準備ができると神前に勢ぞろいして宮司がお祓いと豊漁を祈念して祝詞を上げた後、神前に供えられた「エサ」(オヒネリ、お菓子等)を受け取ります。大船頭が「オーレ親父等(オジイラ) 兄弟(アニイラ) 沖の群(ナムラ)を見れ 一餌(ヒトアッパ)出てんべーじゃないか」
まかれた「エサ」を拾う見物人
女装した若衆が、釣れたカツオを頭に載せて運ぶ様子