旧稲葉家住宅
■指定されている場所: 青梅市
青梅宿とは、甲州街道の脇街道と呼ばれる青梅街道の主要な町で、往来には旅人や御岳山への参拝者、商人が絶えず行き交っていました。徳川幕府は、建築資材となる石灰の供給地、および江戸西方の森林を管理するための出先機関として青梅宿に青梅陣屋を置きました。青梅宿では現在も昭和レトロな町並みが楽しめます。毎年秋に開催される青梅宿アートフェスティバルでは、青梅宿の街全体がアートなイベントやパフォーマンス、ギャラリーでいっぱいになります。
青梅宿をぶらりと散歩すると、古風な建物や長い歴史をもつ老舗に出会えます。青梅宿で最も古い建築物は、「旧稲葉家住宅」。軒の低い登り梁という建築様式から、江戸時代後期のものと考えられています。稲葉家は、江戸時代に青梅宿の町年寄を務め、青梅有数の豪商(木材商・青梅縞の仲買問屋)として知られていました。元禄時代から続く老舗である米店の「柳屋」の建物は1874(明治7)年竣工で、重厚な作りです。「ホテイヤ傘店」は、天保年間創業の老舗。江戸時代は黄土を混ぜた油を塗るという独特の製法の青梅傘が、青梅の名産品として有名でした。
柳屋
昭和レトロ商品博物館
白木屋呉服店
江戸時代、青梅は織物の産地としても有名でした。絹と綿の交織の青梅縞(おうめじま)が庶民から大奥に至まで広く親しまれていました。やがて、布団用の布地である「青梅夜具地(おうめやぐじ)」の生産が青梅の主要産業となり、ピークとなった昭和20 年代には、夜具の全国シェアの約6 割を占めていました。現在は生産されていませんが、残された「青梅夜具地」の生地でタオルなどを生産し、青梅の織物の伝統を後世に伝えていく取り組みが行われています。「織区123」(青梅織物工業協同組合)には、昭和初期に建てられた織物関連の建築群が並び、織物の町として栄えた青梅の面影を残していま
織区 123 の建物